八つ墓村・・・。映画でご覧になった方もいるのではないでしょうか?
時は戦国時代。戦で落ち延びた8人の武士が、ある村にたどり着いた・・・。はじめは距離があった武士(落人)と村人たちだったが、村人たちと武士の距離は徐々に縮まってゆく・・・。
あるとき、村人たちは落人たちをねぎらうために酒宴をひらくことにする。大いに酒に酔い、村人たちと親交を深める武士たち。
しかし、これは村人たちが賞金目当てに開いた罠だった・・・。武士たちが酒に酔ったことを見計らって、一気に襲いかかる武士たち。武士たちは、いとも簡単に殺されてしまうのだった・・・。
そして、武士たちの怨念は近代に至るまで村に渦巻き、その怨念が一人の男性に取り憑いて、村人たちを惨殺する事件が発生する・・・。
八つ墓村のストーリーは、ざっと、こんな感じですね。
ところが、この八つ墓村。実話なんですよ。ご存じでした?・・・・というより、実話の方が怖いかも。
という訳で、八つ墓村のモデルとなった事件をご紹介したいと思います。
モデルは岡山県の津山事件
では、八つ墓村のモデルとなった津山事件からご紹介しましょう。
こちらは、現在の岡山県津山市の貝尾と坂元集落で発生した事件です。正式には津山事件、津山三十人殺しと言われる事件で、1938年(昭和13年)の5月21日に発生しました。
当時21歳だった都井 睦雄という男が散弾銃などの凶器を使って、村人を次々に殺害。28人が即死、その後、2名が負傷が元でなくなっています。
原因は、今風にいえば、彼女ができずに悶々と過ごしていた都井が、村人から馬鹿にされた!と思い込んだことがきっかけだったと言われています。
詳細は、以下のサイトが詳報しているので、参考にしていただきたい!ただし、私は、全部読めないほど詳しく書かれているので、怖がりな方は見ないでネ。
文字だけのサイトですが、破壊力抜群ですね!
実は現在でも残っているらしい
・・・そんな津山事件の現場ですが、現代でも残っているようなのです。
残念ながら、私、龍は取材に行く時間もお金もないので、取材に行った方の記事を探してみました。
かなりガッツリ行かれている方がいるようです。
もちろん、この村の人々の平穏を脅かす写真撮影はどうかと思いますが、結構、当時の雰囲気が残っているようなのですね。
すでに80年経過した事件ですが、今でも事件で空き家になってしまった家屋や、事件でなくなった犠牲者のお墓が残っているようで、事件の陰惨さが感じられます。
ちなみに、犯人の都井の生家が取り壊されたのは2015年になってから。日本史を揺るがす大事件の犯人の生家に手をつける人がこれまで誰もいなかったのでしょう。
そもそも、この事件で、一家全滅してしまった家族もいることから、ほぼ村が壊滅的な状況になったと言われています。
従って、事件の後処理をするパワーもなくなってしまった住人たち。そして、今も当時の事件の痕跡が残ってしまっているという表現の方が正確なのではないでしょうか?
なぜ、こんな事件が発生した?
このような事件が発生した背景には、日本の夜這い文化が関係していると言われています。
犯人の都井は、村の複数の女性と逢瀬を重ねていたとされていますが、最終的に村の女性から結婚相手としてみなされておらず、馬鹿にされている!と感じた結果、このような重大事件を引き起こしたと言われています。
まさに現代でいえば、ストーカーが大事件を起こしたという事件でしょうか。
一方で、この事件が原因となり、生き残った村の娘は、事件の発端を作った張本人として、他の村に移住してもなお、差別され続けたという話しもあります。
八つ墓村の映画ではありませんが、日本の閉鎖的な村社会が引き起こした事件と差別・・・。二度とこのような事件は起きて欲しくないですね。
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