生き霊が奪った息子の命!生き霊の心霊体験

生き霊が奪った息子の命!生き霊の心霊体験

48歳 専業主婦 女性 楓子さん 長崎県五島市で本当にあった怪談

嫉妬に狂う女の怨念が生んだ生き霊

これは私がまだ若い頃に体験した実話です。今まではあまり語ることもしなかったのですが、人生も終わりが近くなって誰かに話しておきたいと思うようになりました。少しばかり怖い話なのですが聞いてください。

結婚した昭和30年代

私が結婚したのは昭和30年代の終わり、戦後の混乱もすっかり落ちついたころでした。

私たち夫婦は長崎県の小さな離島で生まれ育ち、親の勧めで結婚しました。夫は腕の良い漁師で舟を持ち、数人の漁師を束ねる船頭をしていました。私はあまり体が丈夫ではなかったのですが、優しい夫は家事手伝いの者を雇ってくれ、私は奥様と呼ばれて生活していました。

結婚生活では夫に大事され、滋養に良いと言われるものは何でも手に入れてもらって試したのですが、原因のよく分からない熱や痛みに悩まされることが少しずつ増えているような、そんな不安が広がっていくような日々を送っていました。

そうした中でもなんとか跡取りになる長男産むことができ、その子が1歳の誕生日を迎える頃のことでした。

高熱を出した長男を医者に診てもらったところ「麻疹をもらったのだろう」と言われました。確かに赤い斑点も出来ていたので間違いはないと思い、出された薬を飲ませて様子を見ていました。て

しかし高熱は治まらず

しかし、3日経っても高熱を繰り返し、おっぱいを飲む力も少しずつ弱まっていくのです。私と夫は心配して本島の医者に診てもらおうと話し合って決めました。

明日は本島へ行こうと準備をしていたとき、実家の父が息子を見舞いに来てくれました。父は島の神社で宮司を務める神主で、昔から何度も物の怪や幽霊と遭遇しては追い払った武勇伝を持っていました。その父が息子を一目見て「これは病ではない。霊障だ」と言ったのです。

父は「あまりにも怨念が強くて自分にはどうにもできな。本島にいる霊力の高い僧侶を知っているのですぐにでも一緒に出発しよう」といい、私達は急遽本島へと向かいました。

すでに夕方だったので本島への定期船は運航を終えており、私達は夫の船で海を渡りました。本島へ行く航路の途中には海流がぶつかり合って天候の穏やかな日でも波が高い箇所があります。その日は風もなく落ち着いた天気でしたが、船は終始揺れて私の不安をかき立てるようにうねっていたのを今でも覚えています。

本当についたのはすでに夜

無事に本島へたどり着いたものの、時間はすでに夜。今のように車が豊富に行き交う時代ではなく、僧侶のいる村までは歩いて行くしかありません。

父は私と息子に無理はさせられないと言い、父が歩いて僧侶の村へ迎えに行くことになり、私と夫と息子は港近くの宿に泊まることになりました。

その夜も息子は高い熱を出したのですが、疲れが響いたのか私も息子と一緒に高い熱を出してしまいました。

夫は私と息子を寝ずの番で看病してくれ、高熱でぐずる息子を根気よく抱いてあやしていました。

熱でうなされながら夜明けを待っていた午前2時頃のことです。

宿の天井に

ふと、宿の天井に何かの気配を感じました。夫も同時に感じ取った様子で、息子を腕に抱いたまま上を見上げました。私の背中を恐怖が駆け上り、熱があるのに全身に鳥肌が立ちました。

ミシッと音がしました。

その音は部屋の端から端へ歩く足音のように移動していきます。突然息子が激しく泣き始めました。その泣き声を聞いた直後に私の左の乳房に

強い痛みが走りました。熱く焼けた火箸を押し当てられたかのような痛みです。

痛みをかばうように胸に当てた手は信じられないほど熱く腫れ上がった乳房を感じ取りました。

ミシッ ミシッ ミシッ ミシッ

足音は天井の四隅を巡るように移動していきます。息子の泣き声と私の痛みはどんどん激しさを増していきます。

夫は息子を強く抱いたまま経を唱え始めました。それでも足音はやむ気配はなく、私は息をするのも苦しいほどの痛みに死ぬのではないか、息子を殺されてしまうのではないか、と恐ろしくてたまりませんでした。

やがて足音の向きが変わり、私の方へと向かってきます。そうして寝ている私の真上で止まりました。息子がピタリと泣き止みました。私もなぜか痛みを忘れて真上の天井をじっと見つめました。

時間が経って

その時間がどれぐらいだったのか、長かったような一瞬だったような、不思議な静寂に包まれました。

終わったのかもしれない。助かった、そう思った刹那、得体の知れない生臭い気配とともにドスンと何かかが私の胸の上に落ちてきました。

一瞬だけ憎しみに満ちた形相の女の顔が見えたのは覚えています。

そのまま気を失った私が目覚めたとき、隣に寝かされた息子は息をしていませんでした。

夜が明けて父が連れてきた僧侶によって災いの元凶は私を恨んでいる女の生き霊だと分かりました。

私は幼い頃から三味線を習いに本島へ通っていたのですが、生き霊の正体はその三味線のお師匠さんでした。

お師匠さんが私に恨みを抱いたきっかけはお師匠さんのご主人が私を可愛がったことだと言います。通い始めた頃まだ9つだった私にご主人が「みじょらしかねぇ(可愛らしいね)」と声をかけ頭を撫でたのを見て嫉妬を覚えたのだとか。

月に2度、結婚してからもお稽古に通っていた間、私にとってそのご主人はあくまでも「お師匠さんの旦那さん」でしたし、ご主人にとっても居合わせれば挨拶を交わす程度の「妻の弟子の一人」に過ぎませんでした。

ですが、お師匠さんにとって私は「夫を誘惑する女」だったようです。結婚もして夫もできたのに自分の夫に会うためにお稽古に通ってくる私が許せない、と恨みを募らせていたと言います。

やはり犯人は・・・

お師匠さんは私を呪い殺すために丑の刻参りをしたことを白状しました。

お師匠さんの告白通り、人が滅多に行かない山奥の大きな樫の木には布に書かれた私の絵姿が貼り付けてあり、何本もの五寸釘が打ち付けられていたそうです。

そのうち胸の部分に打ち付けられた3本の釘はすでにさび付いていて抜き取ることができなかったと、泣きながらに夫が教えてくれました。

僧侶は丑の刻参りに使われた私の絵姿を護摩供養して、お師匠さんには「二度と呪うことはしない」という証文を書かせました。しかも、紙では古びて破れるようなことがあってはいけない、として布に書かせました。

私は三味線のお稽古に通うことは辞め、そのうち家で弾くことも祭りなどの行事で披露することもしなくなり、三味線は蔵の奥にしまい込んでしまいました。

三味線を見るたびにお師匠さんのことを思い出します。亡くしてしまった息子のことも。

生き霊の念は続く

私はそれから3人の子供に恵まれましたが、あの夜、焼け付くような痛みに襲われた左の乳房はお乳が出なくなり、長男を産んだあとに煩った喘息は年々重くなっていきました。3人目の子供を産んだ後は床についてばかりの日々でしたが、夫は最後まで優しく私を大事にしてくれました。

私の絵姿の胸の部分で朽ちていた釘が私を病弱な妻にしてしまったのかもしれない、あの時抜き取ることを諦めなければもっと元気なままでいてくれたのでは、と最後まで夫は悔やんでいてくれていたようです。

補足

これは私の母方の祖母の話です。実際の年代は昭和の初期のお話なのですが、あまりに年代が古いのもどうかと思い、時代設定を昭和30年代の終わりにしてみました。また、聞いた話ではなかなかリアリティを出せなかったので私の体験として書いてみました。

生き霊の存在は、霊による心霊体験よりも危険だと言われています。本当に人の世は怖いものですね。

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