目黒駅近くにある「行人坂(ぎょうにんざか)」は、江戸時代の大火(明暦の大火など)の火元という説や、急勾配な地形から、古くから怪談や都市伝説が囁かれる場所でもあります。
そこにある雑居ビルの「踊り場」で働いていた、ある男性(Aさん)から聞いたという体(てい)で、その不気味な体験をお話しします。
これは、行人坂の中腹あたりに建つ、少し古びたオフィスビルでの話です。
Aさんの会社はそのビルの4階に入っていました。深夜残業が続き、午前2時を回った頃、Aさんは気分転換にタバコを吸うため、オフィスを出て非常階段の踊り場へと向かいました。
そのビルは古く、エレベーターも動きが遅いため、社員は普段から階段を使うことが多かったそうです。踊り場の窓からは、急な行人坂を見下ろすことができます。
奇妙な焦げ臭さ
Aさんが踊り場でタバコに火をつけたとき、ふと違和感をおどりば
タバコの煙とは違う、木が燻るような、あるいは古い畳が燃えるような、鼻の奥にツンとくる嫌な臭いです。 「どこかでボヤか?」と思い、Aさんは窓の外を見ました。しかし、坂道には街灯が落ちているだけで、煙などは見当たりません。
上がってくる足音
その時です。下の階、3階と4階の間の階段から、足音が聞こえてきました。
……ザッ、ザッ、ザッ、ザッ……
革靴の音ではありません。何というか、もっと重たく、そして引きずるような音。あるいは、草履(ぞうり)でコンクリートを擦るような音でした。
「警備員さんかな?」 Aさんはそう思いましたが、足音のリズムが奇妙に一定で、しかも異常に遅いのです。 一歩踏み出すのに数秒かかるような、重苦しい足取りが、ゆっくり、ゆっくりと近づいてきます。
踊り場のセンサーライト
足音は、3階の踊り場あたりに達したようでした。 そのビルの階段には人感センサーライトがついており、人が通ればカチッという音と共に明かりがつきます。
しかし、下の階のライトはつきませんでした。
足音は確実に聞こえているのに、光がつかない。 暗闇のまま、その「何か」は階段を上り続けています。
……ザッ、ザッ、……
Aさんは急に背筋が寒くなり、吸いかけのタバコを消してオフィスに戻ろうとしました。 その瞬間、足音がピタリと止まりました。 ちょうど、Aさんがいる4階の踊り場の、すぐ下の階段あたりで。
窓ガラスの反射
「よかった、気のせいか……」 そう思ってドアノブに手をかけた時、ふと窓ガラスに目が止まりました。 夜の窓ガラスは鏡のように室内を映します。
Aさんの背後の階段。そこから、真っ黒な煤(すす)だらけの人間のような影が、手すりの隙間からじっとこちらを見上げているのが映っていたのです。
そして、その影と目が合った瞬間、再びあの強烈な焦げ臭さと、顔に熱風のような熱気を感じました。
「うわっ!」 Aさんは慌ててオフィスに駆け込み、鍵をかけました。 翌朝、明るくなってから確認しましたが、階段には何もありませんでした。ただ、4階の踊り場の壁の一部が、なぜかそこだけ黒ずんでいたそうです。





