36歳 放課後児童支援員 女性 安納吽さん 沖縄県糸満市で本当にあった怖い話
「幽霊の寿命は、およそ400年」という俗説があるそうです。
戦国時代に合戦があったとされる地域で、甲冑に身を包んだ武者の心霊が頻繁に見られていたのが、2000年代突入を境になりを潜めつつあるのが理由だそうで、心霊も永遠の存在ではない、というのが昨今のオカルト界隈で話題とこのことです。
もっとも、壇ノ浦近辺では未だに平家の心霊が目撃されているとの話もあり、まだまだ議論の余地のある説ではあるようですね。
沖縄旅行の背景
さて、日本では戦国時代以外にも多くの犠牲者を出した出来事がいくつもあります。
今年で戦後75年を迎えるあの太平洋戦争も、そのひとつでしょう。
多くの都市が空襲に遭い、多数の人が命や家を失いました。
中でも地上戦が行われた沖縄は、特に大きな被害のあった地域として、現在でも社会科の教科書に取り上げられます。
私が奇妙な体験をしたのも、そんな沖縄の、戦争に関連する観光名所でのことでした。
当時中学生だった私は、父と母、妹の四人で、旅行会社の沖縄ツアーに参加しました。
季節はちょうどお正月の頃です。
その時期の沖縄は旅行する人も少なくてツアー料金も割安であり、気温の面でも本土の冬より過ごしやすいからと、両親が計画した旅行でした。
これから語るのは、その沖縄旅行中に私が体験した実話の怖い話です。
多くの犠牲者が出た場所には、怖い話がつきものとは言いますが、私が体験したのもその典型と言えるかもしれません。
目的地のひとつだった『ひめゆりの塔』
日程は、確か三泊四日程度だったと記憶しています。沖縄本島の観光名所をあちこち巡るという内容でツアーが組まれていました。
私たちツアー客は、海の絶景の万座毛や、のちに衝撃的な火災が報じられることになる首里城などの名所を、バスに乗って見学し、観光を楽しんでいました。
沖縄の冬は、私の地元の山梨とはまるで違う様子で、まず半袖で過ごすこともできるほどの温かさに驚かされました。
日の出もだいぶ遅くて、家族一同朝がなかなか来ないことに混乱するなど、楽しい旅行を満喫できたことは確かです。
ただひとつ、私が旅行に来る前から気になっていたことがありました。それは、目的地のひとつに、ひめゆりの塔が含まれていたことです。
当時中学生だった私は、そこがどんな場所で、どんなできごとがあったのかをきちんと知っていました。
しかし、「そういった場所を実際に見るのも、勉強のひとつだ」という父親の教育方針のもと、事前学習をばっちりした上で現地に赴くことになったのです。
ひめゆりの塔で、私の身に起きたこと
実際にひめゆりの塔に行ったことのある方はわかると思いますが、敷地全体が記念公園のように整えられているあの場所は、資料館に入る前にまず防空壕跡を見学できるようになっています。
その防空壕で、いったいどのような悲劇が起きたのか。
ガイドさんの話を聞きながら、私は事前に資料や本で見て来た情報を、頭の中で思い出していました。
ひめゆりの塔の防空壕に限らず、沖縄戦では地元住民の集団自決が多数起きたという話を思い出しながら、だんだんと私は息が苦しくなるのを感じていました。
金縛り、というのとは少し違うと思いますが、息をするのも、身動きをするのもなんだか苦しくて重怠くて、とても奇妙な感じでした。
固まりかけのプリンかゼリーの中に、突然どぼんと放り込まれたような、とでも表現するのが、ちょうど適切かもしれません。
このように表現してみると、あまり怖くないように思えてしまうのですが、この状況に置かれた私は完全にパニックでした。
どうしていいかわからなくて、横にいた父の手を強く握ることしかできませんでした。
父が見ていたもの
ガイドさんの話が終わるの同時に、私の妙な息苦しさもふっとなくなりました。
そのとき、深呼吸をする私に、父が低い声で「お前も見たのか。」と尋ねたのです。
どういうことなのか聞くと、父にはガイドさんの話の最中ずっと、山吹色から紫に美しくグラデーションしている袈裟を纏った僧侶の姿が、木立の向こうに見えていたということでした。
当然、父が言う「僧侶が立っていた場所」は、人が立ち入れるところではありませんでした。
私は父に、父の言う僧侶らしき人影は見ていないこと、けれど金縛りのような、謎の息苦しさは感じていたことを伝えました。
私の感じた息苦しさは、いったい何だったのでしょうか。
それが私の気のせいだったとしても、父が見たという人影が何だったのかは説明がつきません。
母方の、早くに亡くなった祖父が日蓮宗の僧侶だったので、きっと心配でついてきてくれたのだとは思うのですが、父にだけ見えていたというのが何より不思議だと思います。
以上が、私の体験です。
心霊を見たわけでもない、あまり怖い話ではないのが申し訳ないのですが、紛れもなく私が体験した実話です。