神奈川県にある旧善波トンネルは、長年にわたり多くの心霊現象が報告されている場所です。かつてトンネル付近には「もう死なないで 準一」と書かれた看板が立てられていましたが、今ではその看板は撤去されています。
準一君という少年がバイク事故で亡くなり、彼の両親が立てたこの看板は、事故後に続く同名の犠牲者を防ぐための警告として設置されていたという噂があります。しかし、今ではその看板があった痕跡すら残されておらず、看板の存在は地元の記憶にのみ語り継がれています。
心霊スポットへの誘い
ある晩、私は友人のAと一緒に旧善波トンネルを訪れることになりました。Aは以前からこのトンネルについて興味を持っており、特に「準一君の看板」がかつて立っていた場所を見たいと言っていました。
しかし、私たちが現地に向かう前から不安な気持ちが胸に広がっていました。このトンネルでは数々の不可解な現象が報告されており、実際に肝試しに来た人たちが異常な体験をしたという話が多く残っているのです。
トンネルに向かう道中、Aは地元で語られる準一君の話について私に教えてくれました。準一君は、バイク事故でこのトンネル付近で命を落とした少年であり、彼の両親が「もう同じような犠牲者を出したくない」という願いを込めて看板を立てたと言われています。
しかし、その後も同様の事故が続き、看板が立てられたのにもかかわらず、事故は止まらなかったとのことでした。そして、次第にその場所が心霊スポットとして有名になり、多くの人々が準一君の霊を目撃したり、奇妙な現象に遭遇するようになったというのです。
不気味な静けさと異様な空気
その夜、トンネルに近づくにつれて、私たちは周囲の静けさに気付きました。通常の夜とは違い、あたりは異様に静まり返っており、まるで自然の音さえも遮られているかのようでした。車のライトが古びたトンネルを照らすと、私たちは一瞬ためらいました。
Aが「行こう」と声をかけましたが、私は無言で頷くだけでした。明らかに普通ではない雰囲気に、胸の奥で感じていた不安が現実味を帯びてきました。
トンネルに到着した時、私たちは看板がないことを確認しました。「もう死なないで 準一」と書かれていたという看板は撤去されており、その存在は噂話だけが残っているようでした。
また、準一君を祀ったとされるお地蔵様があるという話も聞いていましたが、私たちはその場所を見つけることができませんでした。地元の人々の間で語り継がれている噂は多いものの、私たちが目にしたのは古びたトンネルと、その周囲に漂う異様な空気だけでした。
不可解な足音
トンネルの中に入り、少し歩き始めると、周囲の空気がさらに冷たく感じられるようになりました。私は背後から誰かがついてきているような感覚に襲われましたが、振り返っても誰もいません。Aも同じように緊張した表情を浮かべ、「何かおかしい」と呟きました。
その瞬間、背後から「カツ、カツ、カツ…」という規則正しい足音が聞こえてきました。誰かがこちらに向かって歩いてくるような音でしたが、暗いトンネルの中、足音の主は見当たりません。
私たちは足音が近づいてくるのを感じつつ、恐怖で動けなくなりました。背中に冷たい風が吹き付け、全身が固まってしまったのです。足音はどんどん大きくなり、まるで目の前まで来ているかのようでしたが、誰もいない。パニックに陥った私は、「ここを出よう」とAに言い、急いでトンネルを抜けようとしました。
しかし、足が思うように動かず、逃げたい気持ちが強くなる中、さらに恐怖感が増していきました。
その後に続く奇妙な現象
何とかトンネルを抜け、車に戻ると、私たちはすぐにエンジンをかけてその場を離れました。車の中ではしばらく無言が続き、Aは明らかに恐怖に震えている様子でした。トンネルの中で聞こえた足音が何だったのか、そして背後に感じたあの冷たい気配が何だったのか、答えは見つかりません。ただ一つ確かなのは、あの場所が普通ではないということでした。
その後、Aは私に「トンネルの中で何か見た気がする」と言いました。彼が言うには、足音が聞こえてきた瞬間、彼の目には青白い影のようなものがちらついたというのです。準一君の霊が私たちを追いかけてきたのか、それとも何か別の存在がそこにいたのかは分かりませんが、私たちが体験した出来事が現実だったことに疑いの余地はありませんでした。
再びトンネルを訪れる者への警告
旧善波トンネルに関する噂は、看板が撤去された今でも続いています。準一君の事故以来、数々の怪奇現象が報告されており、多くの人々が異常な体験をしています。看板はなくなったものの、彼の存在は今もこの場所に影を落としているのかもしれません。
旧善波トンネルを訪れる際には、決して軽い気持ちで踏み込んではいけない場所であることを忘れないでください。準一君の霊は、まだ誰かに何かを伝えたがっているのかもしれません。そして、訪れる者に向けて、その存在を示すことが続いているのです。