私は千葉県松戸市に住んでいます。小学生の頃から地元のことはそれなりに知っているつもりでしたが、それでも手を出してはいけない場所というのが、この街にも確かに存在していたことを思い知らされたのは、去年の夏のことでした。
その場所の名は――八柱霊園。
千葉県松戸市田中新田に広がるその霊園は、都立霊園としては最大の広さを誇り、105ヘクタールにも及ぶ敷地には約10万もの墓があるといわれています。霊園の中心にはフランス式庭園やケヤキ並木、給水塔などの風景が広がり、静謐な時間を求めて散策に訪れる人も少なくありません。一見すれば、穏やかで整然とした場所。ですが、その広さと歴史がもたらす影の部分――“心霊スポット”としての顔も、この地には確かに存在しているのです。
特に“第十三区”という区画は、その名からして禍々しく、多くの霊現象が報告されてきたことで知られています。ただ、私が体験したのは、その第十三区ではありません。あえて有名な場所を避けたつもりが、それ以上に恐ろしい体験へと繋がるとは、その時は思いもよらなかったのです。
それは、大学の夏休みの終わりごろ、友人のAとBの3人で肝試しに出かけようという話になったことが始まりでした。
「第十三区はマジでヤバいらしいぞ。帰ってこれなくなったとか、影がついてくるとか……」
Bが語るその言葉に、Aは逆にテンションが上がっていましたが、私は何となく胸騒ぎを覚えました。直感というのか、“今夜は何かおかしい”という違和感が、ずっと喉の奥に引っかかっていたのです。
最終的に、私たちは第十三区を避け、その隣に位置する第四区へ向かうことにしました。地元の人の間ではあまり話題にならないものの、壁墓地と合葬墓が多く存在し、戦時中の無縁仏が多く眠っているという噂があったからです。
霊園の正門は既に閉まっていましたが、裏手のフェンスがわずかに低くなっている部分から、私たちは中へと足を踏み入れました。時刻は深夜0時を回ったばかり。蝉の声も聞こえず、ただ遠くで犬の鳴き声が時折こだまするだけの、不気味な静けさが霊園全体を包んでいました。
「なんか、空気が変じゃないか?」
Aがぽつりと言った瞬間、私たちは異様な冷気を感じました。汗ばむはずの夏の夜に、首筋をなぞるような冷たい風が吹いたのです。しかも、それは自然の風とは違い、まるで“誰かの吐息”のような……。
第四区に到着したとき、霧が立ち込め始めていました。最初は薄く、懐中電灯をかざせばまだ先が見えたのですが、徐々に霧は濃さを増し、あっという間に視界は5メートルもないほどに。まるで、私たちだけが隔離された空間に迷い込んだような錯覚に陥りました。
「なあ、誰か立ってないか……?」
Bが指をさした先には、確かに“何か”がいました。人のような形、でも明らかに異質でした。
それは、古い軍服を身にまとった男の姿でした。肩には勲章のような金属が光り、足元には軍靴。顔は青白く、無表情で私たちを見下ろしていました。その目には生気がなく、ただ“何かを求めている”ような、底知れぬ欲求だけが読み取れました。
私たちは一瞬で身体が凍りつきました。叫び声をあげようとしても、喉が動かない。
そして、その“軍人”が一歩、こちらに向かって踏み出しました。
――ジャリ……ジャリ……
軍靴の底が小石を踏みしめる音が、無音の空間に響き渡ります。その足取りは遅く、しかし確実に私たちに迫ってくる。
「逃げろ!」
Aの叫びで我に返り、私たちは走り出しました。しかし、走っても走っても同じ場所に戻ってきてしまうのです。見覚えのある合葬墓、割れた灯籠、倒れかけの木。すべてが同じ場所を何度もループしていました。
パニックになったBが転び、私は彼を支えながら再び走ろうとしたそのとき、耳元にふっと風が吹きました。
「――まだ帰れんのか……」
明らかに“誰か”の声でした。老人のようにも、若者のようにも聞こえる、男のかすれた声。
振り返ると、そこには、ぼんやりと赤黒い人影が立っていました。血に染まった軍服。右手には軍帽、左手には何か紙のようなもの。視線が合った瞬間、私は意識が遠のいていくのを感じました。
でも――
突然、遠くで犬の遠吠えが響き渡りました。
その瞬間、霧がスーッと引いていき、遠くの道路の明かりが見えました。現実が戻ってきたような錯覚。そして、私たちはようやく霊園を抜け出すことができたのです。
その後、私たち3人には不思議な出来事が続きました。
Aは高熱で3日寝込み、Bは階段から転落して骨折。私は夜な夜な“軍人の夢”を見るようになりました。夢の中の彼は、いつも同じ言葉を繰り返します。
「……ここにいても、誰も迎えに来ない……」
地元の古老にこの話をしたところ、第四区のある一角には戦没者の遺骨が無縁仏として埋葬されていること、そして彼らの一部は、遺族にも見放されたまま今も霊園に留まり続けているという話を聞かされました。
あの夜、私たちが見たのは、そんな“迎えのない魂”の一人だったのかもしれません。
皆さんも、どうか肝試しなどと軽い気持ちでこの場所を訪れないでください。
八柱霊園は、静かに眠る場所であると同時に、声なき声が今も息づいている“境界”なのですから。