これは、私が中野区野方に住んでいた三年前、深夜の帰宅途中に体験した、現実とは思えない出来事です。
当時、私は映像関係の仕事をしており、帰宅が日付をまたぐのは日常茶飯事でした。野方駅近くのマンションに一人暮らしをしていて、通勤はほとんど西武新宿線と徒歩。野方駅の周辺には小さな踏切がいくつもあり、私はいつも南口の商店街を抜け、線路沿いの道を通って帰っていました。
その夜も、深夜0時を過ぎた頃に西武新宿線の終電で帰ってきました。季節はちょうど梅雨の時期で、昼間の蒸し暑さが残る湿った空気のなか、私はイヤホンで音楽を聴きながら、いつものように踏切へ向かいました。
その踏切は駅から少し離れた住宅街の端にあります。名前もない、地元の人しか使わないような小さな踏切です。昼間は子ども連れの母親や、買い物帰りの高齢者がのんびりと通る道ですが、夜は人通りがほとんどなく、静寂に包まれます。鉄の枕木に靴底が当たる音だけが、夜の空気に響くのです。
踏切に差し掛かったとき、遮断機は上がっていました。電車の音も聞こえず、安全を確認してそのまま渡ろうとした――その時でした。
前方、踏切の反対側に、誰かが立っていたのです。
街灯の少ないその道では、輪郭しかわかりませんでしたが、細い体つきで、肩までの髪が風もないのに揺れていました。服装は…そう、白いワンピース。まるで昭和の映画に出てくるような、レースのついたクラシックな服でした。
こんな時間に、こんな場所で? 私が立ち止まると、その人影も一歩だけ、こちらに踏み出してきました。
ぞわり、と全身の肌が粟立ちました。
私はイヤホンを外しました。どこかで聞いたことがあるような…いや、聞こえてきたのです。
「……あの電車、見なかった?」
女の声。はっきりと耳元で。
私は思わず「えっ?」と声を出してしまいましたが、次の瞬間にはそこには誰もいなかったのです。
踏切の反対側、さっきまで人影が立っていた場所は無人。辺りに人の気配はなく、虫の音と、遠くの踏切のカンカンという警報音が空しく響いていました。
それでも、「いた」と確信がありました。あれは見間違いではありません。
心臓がバクバクと高鳴り、私は早足でその場を離れました。
次の日、同じ道を通った時、何気なく近くの掲示板を見ていたら、数年前の新聞記事の切り抜きが掲示されていました。
「女性、遮断機無視で電車と接触」
記事によると、ある若い女性が、踏切が鳴っているにも関わらず線路に入ってしまい、通過中の上り電車と接触、即死だったとのこと。事故があったのは、まさにあの踏切だったのです。しかも、記事の下のほうにぼんやりと写っていた現場写真には、私が見たのとよく似たワンピースの裾が――風に舞っているように映っていました。
それから数日後、私は商店街の青果店の店主と話す機会がありました。あの踏切の話を持ち出すと、彼は「お、あそこかい?」と、まるでよくある話だと言わんばかりの口調でこう続けました。
「前から噂になってんだよ。あの白い女、夜になると現れるんだって。『あの電車、見なかった?』って聞いてくるらしい。昔から何人も見てる。うちの息子も中学の頃、一回見たって言ってたよ」
まるで日常の一部のように語るその口ぶりに、私は寒気を覚えました。
それからしばらく、私はあの踏切を通ることができませんでした。迂回して遠回りしてでも避けるようになったのです。
数ヶ月後、少し落ち着いた頃、私はもう一度あの踏切を訪れました。真夜中ではなく、夕暮れ時――まだ人の声が少し残っている時間を選びました。
でも、そこには何も変わらない風景がありました。錆びついた遮断機、古い警報機、そして踏切を越えて続く静かな道。
けれど、私は確かに感じたのです。
踏切の中央――私がすれ違ったその場所には、ほんのりと冷たい空気の流れがあって、まるで誰かが今も立っているかのような、そんな気配が。
あなたももし、野方の踏切を夜に通ることがあるなら、どうか注意してください。
「見えたら終わり」ではありません。
彼女は“誰か”に答えてほしくて、今もあの踏切に立ち続けているのです。
「――あの電車、見なかった?」
そう声をかけられたら、決して返事をしてはいけません。振り返ってもいけません。
その瞬間から、あなたも“向こう側”へ引き寄せられるかもしれないのですから。