20代 システムエンジニア 男性 SEIYAさんの恐怖体験
私は現在システムエンジニアとして働いているのですが、高校を出て社会人の1ページを刻んだのは陸上自衛隊でした。
仙台の駐屯地に配属されることに
私は故郷から離れて仙台にある仙台駐屯地に就職しました。
入隊してから半年を過ぎると教育が終わり正式にそれぞれの兵科に配属されます。
仙台駐屯地は東北の中心となる司令部が置かれているので、それなりに規模が大きい駐屯地でした。
業務隊や音楽隊、通信隊、警務隊などがある中、私は仙台駐屯地では唯一の戦闘職種である東北方面特科隊に配属されました。
陸上自衛隊では海上、航空自衛隊と異なり門番の役割をする警衛という仕事を各部隊が持ち回りで行います。戦闘職種だったこともあり、私の所属する特科隊は警衛の頻度が他の部隊と比べて多めでした。
警衛では8:30に交代してから22:00まで門の前に立って警戒し、夜間は駐屯地の柵沿いを歩いて見回りをする動哨警戒をします。そしてその動哨中に心霊体験をしました。
夜の見回り(動哨警戒)で
動哨警戒は2人一組になって行います。そのときパートナーになったのは部隊では美女と人気の高かった4、5歳年上の上司でした。
当時18歳だった私はその上司と動哨警戒を一緒にできることがとても嬉しく、カッコいいところを見せたいと思っていました。
22:00を過ぎ、門を施錠するといよいよ動哨警戒です。無線機や武器を準備していると「せいちゃん行くよ」と上司が声をかけてくれました。「はい」と返事をし、私は意気揚々とその
後に続きました。やはり4年も先に自衛官となっただけあって女性と言えど、上司の背中は頼もしかったです。動哨警戒中は基本的に暇なので、美人な上司と会話をしながら歩いていました。
そのとき、上司からは仙台駐屯地に伝わる怖い話を聞かされました。
私は本来ホラー映画さえ見ることのできない臆病者なのですが、鳥肌が立っていてもさも動揺していないように振舞いました。
自衛隊病院で寒気が
仙台駐屯地には自衛隊病院が併設されていて、動哨警戒時には必ずその裏を通ります。「なにかありそう…」と思っていても仕事なので行かなければなりません。
「なにもありませように」と念じてそのまま進むと自衛隊病院のあたりから急に雰囲気がジメジメし始めました。
すると自衛隊病院の車庫のあたりに人影がありました。時間はすでに午前2時を過ぎており、駐屯地に居住する自衛官は消灯時間外のため施設の外に出ることを禁じられています。
そのため、当初は夜の火器点検をする当直だと思っていました。ところがその者は迷彩服を着用しておらず、茶色い背広のような服を着ていました。
私は上司の方をポンポンと叩き、
「あそこに誰かいません?侵入者ですか?」
と聞くと、上司は
「じなに?脅かしてんの?誰もいないよ」
と答えたのです。
「違います。あそこに茶色い服着た人いるでしょ?」
とその方角を指さしても
「だから誰もいないんだって」
と怒鳴られました。
しかし、その茶色い背広を着た者は私と目が合い、こちらに歩を進めてきました。
「こっちきてるじゃないですか?」
と私が言っても上司はもはや無視するばかり。
「どうしよう、どうしよう」と私はパニックに陥りました。
その者が私たちから50M先まで近づいてきたとき、私はあまりの怖さにとっさに上司の後ろに隠れてしまいました。
上司もただ事ではないことを悟ったようで、「何もないよ、大丈夫だから」と励ましてくれました。
恐る恐る顔を上げると茶色い背広を着た者は私たちのいる地点から30Mのところで進む方向を右側に変えてさらに進みました。
実は35年前の事故で亡くなった男性の霊
それから7時間後、警衛を交代し同じ部屋で寝泊まりする先輩にそのことを話すとその先輩は毎回警衛の度にその者を目撃していると語ってくれました。
茶色い背広だと思っていた服装は昔の陸上自衛隊の制服であり、今から35年ほど前、自衛隊病院で勤務していた自衛官が施設点検の最中にトラックにはねられて死亡し、その者の霊が未だに目撃現場で彷徨い続けているとのことです。
自衛隊は実は殉職する方も結構いらっしゃいますし、自衛隊の方からの霊体験の話はしばしば耳にしますね。
この細部まで正確で、実話と私も信じます。怖い・・・。
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しっかりと見えたんですね。しかも同じ場所で同じように見える
人がいるとは…。怖いです。
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