48歳 サービス業 男性 さやすさん 広島県旧袋町の小学校で本当にあった怖い話
大学生1年の頃、清掃のバイトをしていたことがある。その時の心霊体験だ。
清掃と言っても少々特殊で建物内の水道水を貯めておく所謂貯水タンクの水を抜いて内部を清掃、消毒する仕事である。
50代後半の社長1人で切り盛りされていた会社だったが大きい案件が来ると臨時で体力のある学生をバイトに雇っていた。
自分は夏休みの間2週間限定の募集を知って採用していただいたのだったが、現場は市内の小学校を毎日社長と2人で回ることであった。
貯水タンクは法律で年に1回必ず清掃して証明を出す必要があり、2時間ほど水道が止まってしまうので小学校は基本夏休みに行うのだそうだ。
真夏に密閉されたタンクの内部に入り2時間近く清掃するのはなかなかハードな仕事だったが給料の割がいいのと人の良い社長との作業が楽しくて1週間があっという間に経った。
「今日の現場はここだ」県外から大学の下宿に入った自分には土地勘が無かったが一目見て「随分古い学校だな…」と思ったことは覚えている。
「先に職員室行って挨拶してくるから、準備しておいてくれ。」会社のワゴン車からバケツ、棒モップ、薬品などを次々降ろして準備をしていると「おぅい、こっちだ」先ほど職員室に向かった方から社長が呼ぶ声がした。
慌てて台車に道具を積み、脚立を背負い小走りでそちらに向かう。職員室を過ぎたその先の階段をスッと降りていく人影が見えた。
貯水タンクは地下にあることも多く、台車を置いてとりあえず脚立を抱えペンライトを片手に階段を下りて行く…と、そこは地下など無く、ただの行き止まりだった。
いや、「ただの」と言うには語弊がある。階段を下りて曲がったその先は少し先があったのだが鉄格子のようなバリケードが張られており入れない。何より床、天井、バリケードの奥、全てが黒い。ペンライトを点けていなければ何も見えなかっただろう。
「このバリケードの奥なのかな。カギは開いてるのか?」そう考えていると壁に鈍い光を放つメッセージプレートが掲げてあるのに気付いた。
「ここは原爆投下の際生徒が折り重なって亡くなっており、爆弾の威力と炭化した生徒の影で真っ黒になった地下避難豪の入り口である。原爆の恐ろしさと平和の尊さを伝えるため保存されて…」
ライトに照らされたプレートの後半の説明文はもう頭に入って来なかった。一気に血の気が引くのがわかり心臓が耳をつんざくほど激しく鼓動する。地下の少しひんやりした感じがたまらなく怖くなる。
「おい!そっちじゃない!」温和な社長の叫びにも似た怒号が階段上から響いて思わず飛び上がる。駆け足で戻ると苦虫を潰したような顔をした社長がぼそっと言う。「この現場は屋上だ。行くぞ」
その素振りをみて社長は自分が下に降りた理由を解っていると直感的に悟り、何も言えなくなってしまった。その後は黙々と作業したのだが先ほどの出来事がずっと頭の中で反芻していた。
「あの学校は被爆地から近かったから当時校庭に負傷者や死者を並べていた場所じゃけえの。地面掘ったら骨がようさん出てきよる。時々あんちゃんのように何かしら見てしまう人がいるけど俺は怖がりだから聞かんようにしとる。あんだけ人が死んだんやけぇ、何もない方がおかしいわい。」帰りの車中、窓の外をぼんやり見ていた自分にぼそりと社長が教えてくれた。
あの時地下へ消えた影…よく考えてみれば服装などわからずただ真っ黒だった。
あそこで影になった子供達が今でも必死に逃げようとしていたのか。時間が経つにつれ怖いというよりただただ悲しい気持ちになった。
今はその学校も立て直しをされて近代的な作りとなり子供達も元気に通っている。正門にはここの土地を記す記念碑が建てられていて、時折仕事で前を通る度にあの時の胸を締め付けられるような思いが今でもこみ上げる。