この話は、僕の友人である映像関係の仕事をしている松岡(仮名)から聞いたものだ。
彼は、AV業界で長年カメラマンをやっている。
普通の人が足を踏み入れることのない現場で、日々非日常的な光景を撮り続けている彼だが、ある日を境に「自分の中の何かが壊れた」と漏らすようになった。
そのきっかけとなったのが、都内某所にある“とある撮影スタジオ”だった。
そのスタジオは、外観こそごく普通の一軒家だった。
けれど、玄関のドアを開けるとすぐに鉄製のエレベーターが現れる。
しかも、家は二階建てにもかかわらず、エレベーターのボタンは「1」から「5」まで並んでいた。
ボタンを押しても動かない階数もあり、異様な造りにスタッフたちは口を揃えて「ここ、絶対普通の家じゃないよな」と囁き合っていた。
そして問題は、地下だった。
洗面所の裏手、なぜか後付けされたようなコンクリート打ちっぱなしの小さなドアを開けると、細い通路が現れる。
天井は低く、身体を少し屈めないと進めない。コンクリートの壁には妙に湿った空気が漂っていた。
その先にあったのが、今回の撮影場所だった。
その日、撮影していたのは新人女優の“ユウナ”(仮名)のデビュー作。
企画は「初めての目隠し・拘束体験」――
台本がない、リアクション重視のドキュメントスタイルで、リアリティを追求する作品だった。
撮影が始まり、ユウナは手首と足首を軽く縛られ、目隠しをされてベッドに寝かされた。
松岡はカメラを手に、静かにその様子を収めていた。
最初のうちは、くすぐったがる声や戸惑う反応が撮れて順調だった。
ところが、途中からユウナの様子が少しずつ変わっていった。
身体をこわばらせ、小さく震えながら「いま……誰か、いる?」と呟いたのだ。
松岡は「スタッフ以外、誰もいないよ」と答え、撮影を続けた。
だが、その直後だった。
カメラ越しに、ユウナの足元、ちょうどベッドの下から“何か”が這い出してくるのが見えた。
白く、細く、異様に長い手。
ぞっとして目を逸らし、確認しようとしたが、そのときには何もいなかった。
カメラにも写っていない。
だが、ユウナは目隠しされたまま、「さっき、足触ってた人……もう一人いたよね」と真顔で言ったという。
撮影はなんとか終わったが、スタッフたちは皆、地下から出るとすぐに息を吐き出した。
「気味が悪い」「空気が重い」と、口々に言っていた。
ある者は鼻血を出し、別のスタッフは腰を抜かして立ち上がれなかった。
そして、次の日。
編集のために松岡が素材を確認していた時のことだ。
ユウナの撮影カットのひとつに、明らかに“もうひとり”の姿が映っていた。
カメラの端。
ぼんやりと白く浮かび上がる“顔”。
髪が濡れており、目元から口元にかけて黒い筋が伸びていた。
ただ、奇妙だったのは――
その顔が、モニターを見つめている松岡の方向を、じっと見ていたことだった。
まるで、画面の向こうからこちらを覗き込んでいるかのように。
松岡はその夜、高熱を出し、三日間意識を失った。
その後、スタジオを紹介してくれたロケコーディネーターに話を聞きに行った松岡は、驚くべき事実を知らされる。
かつてその場所は、“監禁用施設”だったというのだ。
表向きは倉庫として使われていたが、地下にあったのは小型の監禁室。
鉄製の格子がはめられた部屋が二つあり、どちらも成人が直立できないほどの高さしかなかった。
警察沙汰になったことはないが、近隣住民の間では「夜中に叫び声がする」「家の裏手から女の泣き声が聞こえる」と噂になっていたらしい。
さらに、そこから直線距離にしてわずか300メートルの場所に、かつて大火災で焼失した寺の跡地があった。
その寺は、江戸時代に疫病で多くの人が命を落とした際に仮埋葬された土地だったという。
その周囲一帯は、“霊道”――つまり、魂の通り道になっていた。
松岡は愕然とした。
あの地下通路が、まさにその“道”の交差点にあたっていたのだ。
その後、あのスタジオは閉鎖された。
いや、正確には“封鎖”されたと言った方がいいかもしれない。
物件情報サイトからは姿を消し、不動産業者も一切扱っていない。
スタジオの存在自体が、この世から消されたかのようだった。
しかし――。
先日、松岡が都内の別の撮影現場に赴いたとき、あるスタッフがふとこう言ったという。
「あの物件、復活したらしいよ。名前変えて、場所も微妙にずらしてさ」
それを聞いた松岡は、何も言わず帰ったという。
以後、彼は地下のある物件だけは、絶対に撮影しないと心に誓ったそうだ。
なぜなら、今も時々――
夜中、目を閉じると、あの地下通路の先から「誰かが這ってくる音」が聞こえるというのだ。
「カサ……カサ……カサ……」
目隠しをしていなくても、“見えないもの”は、確かにそこにいたのだ。
この話を聞いてから、私はこう決めている。
目隠しされた状態で、“誰かが触ってくる”ような感覚を覚えたら……
それはきっと、人ではない“何か”が、あなたに手を伸ばしているのだと。